● 2023.08.17 コラム

太平洋島嶼国紀行

 当センターでは、日本政府の政府開発援助(Official Development Assistance:ODA)に基づき、世界の発展途上国向けの船舶に関するコンサルタント業務を行っています。
 そのうち太平洋島嶼国については、1997年から日本との間で3年毎に開催されている太平洋・島サミット(PALM)を待つまでもなく、多くの船舶関連支援プロジェクトが行われてきました。弊センターも近年これらの太平洋島嶼国における船舶関連プロジェクトに大きく携わるようになりました。
 2020年の春頃から2022年の秋頃まで世界的に拡大した新型コロナウイルス感染の影響で、特に医療体制が十分とは言えないこれらの地域に渡航することは極めて困難でしたが、漸く以前のような渡航が可能になってきました。
 本コラムでは、一般財団法人日本国際協力システム殿の委託によるプロジェクトで、最近渡航する機会のあった4つの国についてご紹介いたします。

太平洋島嶼国について
 太平洋島嶼国というのは以下の図に示す14の国々です。例えば、日本漁船はカツオ・マグロの約4割をこれらの国のEEZで獲っているように、日本とは結びつきの強い地域です。

(出典:外務省資料)

 ここでご紹介するのはこのうちの一部の国ですが、かつて西サモアと呼ばれていたサモア独立国、赤道直下のナウル共和国、多くの環礁からなるマーシャル諸島共和国と世界で一番早く朝日の昇るキリバス共和国です。
 これらの国に渡航するには直行便がなく、乗り継ぎのためにグアム、豪州、ニュージーランドなどで1泊か、場合によっては2泊が必要で時間が掛かります。それでも足を踏み入れれば、透き通った紺碧の海と太陽が眩しい青空が迎えてくれ、いかにも南国と言う気分に溢れます。親日的な人々は概して大柄でゆっくりした歩みなので、暫く滞在しているとこちらもリラックスしてきます。

ナウル共和国(2023年2月渡航)
 ナウル共和国(以下、「ナウル」)には、現在アジア開発銀行の資金援助で建設中の新港で使われるタグボート(写真1)の引き渡し後1年間の保証期間満了に際して瑕疵検査を行うために渡航しました。

 ナウルへの渡航には、多くの国で不要となっている事前のビザの取得が必要です。かつ、駐日の大使館がありませんので、書類を送ってVisa Grant Noticeを取得しました。また、渡航当時は日本で出国72時間前のコロナウイルス陰性証明書を取得し、豪州からナウルへ向かうナウル航空の搭乗24時間以内の陰性証明書も必要とのことなのでブリスベンで検査を受け、ナウル到着翌日にも国の指定期間で検査を受けるという慎重さでした。
 ナウルは、周囲約20kmの一つの島からなる世界で3番目に小さい国です。隆起によりできた孤島なので周囲は360度、写真2のような海岸線を通して南太平洋が広がっています。過去には海鳥の糞が堆積してできたリン鉱石の輸出で税金も不要な大層裕福な国であったようですが、ほぼ採掘し尽くした現在では外国の援助にかなり依存する国になっています。ただ、現在でも医療費は免除とのことです。写真3はリン鉱石の積出し設備です。

 現在は、日本大使館や領事館もなく、観光資源と言えるようなものが特にある訳でもないので、両国間の関係はそんなに濃くないと思えますが、ナウル博物館の民族的な展示品に交じって、かつて太平洋戦争中には日本軍が占領し、空港まで建設していたことを示す写真や日本語の地図、零戦の残骸等が展示されていました。
 島内を走っている車は日本の中古車が大半と見受けられ、日本同様に車は左側通行であり、また、信号機はないものの車のスピードも控えめで、且つ、横断歩道で立っていると必ずと言ってよいほど停車してくれる人に親切な交通マナーで、道路の横断に怖さを感じることは全くありませんでした。
 前回訪れたのはコロナ禍前の2019年4月ですが、4年前には全く影も形もなかった新港が建設途上にあり、一部は運用されているなど様変わりしていました。4年という期間は発展途上国に取って変貌するに十分な時間と思われます。またそのような変貌を目の当たりにして、そのうちの僅かでも我々の取組みが寄与しているとすれば大変嬉しいことです。

サモア独立国(2022年10月渡航)
 サモア独立国には、隣国アメリカ領サモアを結ぶ国際貨客船(写真4はアピア港に到着の時の様子です)の引渡しのために渡航しました。

 サモア独立国(以下、「サモア」)は大きな2つの島と7つの小島からなる国です。島嶼国には平坦な土地の国が多いのですが、サモアには標高2,000mに近い山もあり、水は豊富です。アメリカ領サモアはすぐ東、直線距離で120km程のところにありますが、アメリカ領サモアとの間に日付変更線が通っているので、時差が24時間あります。このため、時刻表によれば本船は夜10時にサモアのアピアを出港し、同じ日の朝8時にアメリカ領サモアのパゴパゴに到着することになっています。
 サモアでも車は左側通行なので、日本人に取っては道路の横断は安心です。島嶼国にはタクシー以外の公共交通機関は稀有なのですが、サモアには沢山走っているタクシーに加えて、バスターミナルで見掛けた写真5のような懐かしいボンネット型のカラフルなバスが走っています。

 島嶼国の通貨は米ドルか豪ドルが多いのですが、サモアでは独自の通貨タラが使われています。
 島の周囲は紺碧の海が遥か水平線まで広がっていますが、高い山もある比較的大きな島(写真6)なので、内陸には滝や、ゴルフコースもあるそうです。

 ODAで渡す船は相手国への供与なので国を挙げて歓迎していただけます。今回も本船の到着時には船の前で私共が運輸大臣と並んだ写真が新聞に掲載されましたし、引渡し式典(日本側に取っては引渡しですが、先方には門出なので、”Launching Ceremony”と呼ばれていました)には首相以下の全閣僚や各国大使が列席され盛大に催されました。ODA案件は日の丸を背負うという責任は重大ですが、一方でこのように国家間のプロジェクトに関わることのできる醍醐味を感じます。
 余談ですが、引渡し式典に参列された各国大使の公用車は、中国大使も含めて全て日本製の「Land Cruiser」でした。島内の内陸は悪路もあるので信頼性のある「Land Cruiser」が使われているとのことですが、私達が建造する船舶についても、日本製に対する信頼感を維持し続けたいと強く願うところです。

マーシャル諸島共和国(2023年6月渡航)
 マーシャル諸島共和国(以下、「マーシャル」)へは1年前に引渡した多くの環礁を循環して医療活動を行う医療船(写真7)の瑕疵検査を行うために渡航しました。2020年の1月末に、設計仕様の確認のために渡航したのですが、その直後から渡航は極めて困難になり、引渡し時にも立ち会うことができませんでした。

 本船船内は土足禁止にされて、良くメンテナンスされて大事に使われており、この1年の間に、1回3週間から1ヶ月の航海を9回行って、1回で2~3島を廻った活躍をしていることを聞きました。本船にはDental Clinicを装備していますが、これまで抜くしかなかった歯を一部削って詰め物で済ますことができるようになったので、日本での8020運動にあるように健康なお年寄りが増える効果があり、医療船供与の成果も得られているとのことでした。このようにODAで引渡した船が、実際に現地で役立っていることを耳にするのは何よりも嬉しいことです。
 マーシャル諸島は、5つの島と29の環礁(Atoll)で成り立っています。無人の環礁(写真8)もあり、過去に水爆実験が行われたビキニ環礁(現在は、世界遺産に登録されている)もその一つです。

 首都マジュロの位置するマジュロ環礁はサンゴ礁の環礁で、指輪のような細い陸地があり、平均的な標高が2mほどで、環礁が切れた場所にかかる橋が最高標高の6mということです。環礁の内海は波が穏やかで、1~2万トンクラスの貨物船も入る立派な港があり、それに反して外海は太平洋の波が荒い外洋です。写真9はマジュロ環礁にある島の南国風情溢れる海岸風景です。

 マーシャルでは細長い陸地に1本の幹線道路があり、かなり多くの車が走っています。右側通行で通貨は米ドルとアメリカに近い環境です。流しのタクシーが多く、一人1.5ドルで相乗り可能であり、市内の移動には困りません。無関係な4人のお客さんを詰め込んで、途中や回り道して乗降することもあり、タクシーが公共交通機関の役割を果たしています。
 太平洋戦争前に日本が占領した時代もあり、日本人の姓を持つ人も居られて親日度は高いようです。ODA関連の訪問なので、大統領府で大統領や諸大臣とお会いする栄誉に浴することができましたが、その中にはKanekoさん、Momotaroさんという姓の大臣がおられました。

キリバス共和国(2023年7月渡航)
 キリバス共和国(以下、「キリバス」)には、関係機関との打合せのために渡航しました。
 キリバスは広大な水域に33の島が東西4,500kmに亘って散在する世界第3位の排他的経済水域を有する国です。嘗ては国内を二分していた日付変更線が東端の西経140度付近の国境まで移動されたことにより、世界で最も早く日の出を迎えることのできる国になりました。
 今回訪れたのはキリバスの西側に位置する首都のあるタラワ環礁です。遥か水平線まで広がる紺碧の海(写真10)と濃い緑に覆われた街中(写真11)が印象的です。



 通貨は豪ドルで車は左側通行です。子供が多く、学校も沢山あるようで、朝は通学ラッシュともいうような状況を眼にし、活気のある様子が印象的でした。また子供だけでなく大人でも裸足で歩いている人が多く、一寸吃驚しました。
 太平洋戦争中には日本軍が占領していたとのことですが、タラワ環礁のベシオでは激戦があり、最後には2万名の米軍を迎え撃った旧日本軍約4600名が玉砕するという悲劇があったそうです。今でも当時の旧日本軍の司令部のコンクリート建屋や大砲、トーチカが残されており、海岸沖には座礁したままで放置されている船舶も見えます。
 現在では、戦前からの深い関係を引き継ぐ形での日本からの様々な経済援助が行われています。その一つに、タラワ環礁のバイリキとベシオを結ぶ約3.5kmの埋め立て道路(写真12)があります。左側が環礁の内側で右が外海です。現地では「Nippon Causeway」と呼ばれており、街中の車の制限速度は時速40kmですが、ここでは60kmとなっています。
 キリバスは英語ではKiribatiと表記しますが、現地語の発音ではキリバスが近いようで、日本語でもキリバスと呼びますと話すと大変喜ばれました。

おわりに
 本コラムでは当センターで取組んでいるプロジェクトに関連して訪問した一部である太平洋島嶼国についてご紹介しました。私共の活動の一端をお分かりいただけたでしょうか。
 当センターの中には、「ODA業務に携わり始めて間もない頃に、ある国への入国時に管理官に入国目的を尋ねられた際、『日本のODAによる船舶の供与の打合せのため』と答えたところ、入国管理官の無口なイメージとは違って、鄭重に謝意を伝えられました。この国のために是非良い船を完成させたいと思ったことが、ODA取組みの原点にもなりました。」と話す職員もおります。
 これからもODAを通して発展途上国の社会・経済開発、発展のために微力ながらも貢献できるよう努めて参ります。また、本稿でも触れましたが、日の丸を背負う責任感の重さと共に国家間のプロジェクトに携われるというODAの取組みに魅力を感じていただける方がいらっしゃれば、是非ご協力いただきたいと思うところです。

(海外協力部)